「陰」は病気になるまで見えない

薬膳を勉強し、和食中心に切り替え、四毒抜きも意識して実践してみたら、はっきりと体感できる変化が出ました。
2025年は、私にとって「結果が出た年」でした。例えば前立腺肥大の手術と薬膳的養生食レポートなど

だからこそ、たらればだと分かっていても、正直な気持ちが湧いてきます。
今の知識とスキルがある状態で、もう一度子育てができたら。
そう思わずにはいられませんでした。とても悔しいのです。

年末の断捨離をしていたとき、結婚当初の料理メモが大量に出てきました。
楽しく、前向きに料理をしていた頃の記録。
まだ、料理を軽んじる前の自分の字でした。

料理を手放した理由は、怠けではなかったけど

子育てが始まると、時間もお金も、ますます必要になります。
勉強もしなければならず、仕事もしなければならない。
若い人が多いIT関連の業界で、何とか食らいつくためには、勤務先から帰ってからも、かなりの勉強時間が必要でした。

足りない時間をどこから捻出するか。
その答えが、料理の簡略化でした。

あれほど料理が好きだったのに、いつの間にか「余分な時間」として扱うようになりました。
日曜に一週間分の夕食を作って冷凍。
足りないものやお弁当は、半分以上が冷凍食品。
(添加物まみれでも)ソーセージを入れておけば、肉扱いでメインのおかずになるやろ、という感覚です。

息子に
「弁当、茶色いし、恥ずかしいし、美味しくない」
と言われたときは、さすがにショックでした。

でも、仕事の契約を切られるかもしれないという不安や焦りに比べれば、そのショックは小さなものでした。

それでも、食を投げ出したわけではなかった

誤解されたくないのは、はちゃめちゃな食生活だったわけではありません。
レベルが高いとは言えなくても、食へのこだわりは、どこかに残っていました。

料理ができない夫が、部屋にカップラーメンを備蓄しているのを見ると、私は本気で怒りました。
「カップラーメンは山で食べるもんや。家に入れるな。二度と買ってくるな。点検するからな」
本気で息巻いていました。

パンも、必ずパン屋さんで買う。
市販の袋入り菓子パンは、不味くて食べられませんでした。

矛盾しています。
簡略化はしているのに、線は引いている。
今思えば、自分なりの防衛線だったのだと思います。

食は、あとから静かに効いてくる

子どもの頃からの食習慣が、大人になってからの疾患につながる。
そんな話は、よく耳にします。

まだ多くの家庭で、食事を担っているのは女性です。
母親業や妻業と、食は直結しています。

私の母も、義母も、それぞれ後悔に似た言葉を口にしていました。

美食家だった義母は、
「私がもっと健康のこと考えて料理してたら、おとうちゃんも病気にならんで、もうちょっと長生きしたかもな」
と言っていました。

母は、とても器用な人でした。
ケーキもパンも手作り。
普段の出汁巻きは、薄いミルフィーユのように何層にも巻かれて、ふわふわで美しく、甘すぎず濃すぎず絶妙でした。

お弁当も、朝からコロッケを揚げ、ハンバーグを作り、袋状にしてゴムで縛り、タレ付きで持たせてくれました。

でも、30代・40代は猛烈に働いていた母は、
「レパートリーは少なかったし、派手なもの以外は、そんなに作ってこれなかった。上手く作れへんかった」
とも言っていました。

目に見えない「陰」は、病気になるまで気づかれない

時代や社会の影響もありました。
「これからの女性はキャリアが大事」
「家事を時短できる人が、できる人」
そんなメディアの刷り込みも、確かにありました。

お金のように目に見える成果は「陽」。
家庭内の食事は「陰」。
病気になるまで、見えない「陰」です。

運動不足も同じです。
蓄積は、サイレントキラーになります。

父はずっと車通勤で、運動量が少なく、60代で足に疾患が出ました。
筋力をつけるために、砂袋を足に巻いて筋トレをしていました。

私自身も、PCの前に座りっぱなしの生活で体に支障が出て、運動を意識し始めたのは10年ほど前です。
クロスロードバイクで10キロほど走るようになりました。
気づいたときに始められて、本当によかったと思っています。
未病の段階で、対処できることで大事に至らなかったともいえます。

忙しさや甘いものや加工食品は、「脾」を酷使します。消化吸収を担う場所が疲れれば、体も心も余裕を失っていくのは当然だったと思います。加工ものや甘味に加え座りっぱなしも湿が溜まる痰湿の体質に偏りがちです。

海外の食を知って、砂糖の問題が腑に落ちた

インドに行ったとき、甘すぎるお菓子に辟易しました。
砂糖の量です。
糖尿病が国民病になっているのも、納得できます。

一方、ベトナムでは、肥満の人をほとんど見かけませんでした。
米の食文化、米麺、炭火焼きの肉。
日常の食事が、そのまま体型に表れていると感じました。

甘さは、感動を生み、依存も生む

十代の頃、砂糖を控えたお菓子作りをしていたとき。
薬膳のお菓子を作って販売していたとき。

毎回、同じ驚きがあります。
人が甘さを「甘い」と感知するには、保存性を持たせるには、粉にこれほどの砂糖を入れなければならないのか。

量として可視化されると、その事実がはっきりと認識できます。

そして、依存は経済を回します。

デパートのショーウィンドウに並ぶ、きらきらしたスイーツ。
贈られた人が感動するブランドロゴと美しいパッケージ。
フルーツや抹茶、生クリームの甘さに癒される瞬間。

でも、そのときめきは一瞬です。
その積み重ねが、静かにエイジングを加速させる。

この一連の流れとメカニズムを理解してから、私は変わりました。
誘惑されても、甘いものは月に一度のティータイムで十分。
楽しみながら、依存しない。
それが、今は可能になっています。

未病の段階で立て直す 疾患があるなら徹底する

水道の蛇口が調子悪くなった時、雨漏りのようにぽつぽつ漏れる雫をバケツに溜めていました。1時間ぐらいですぐ一杯になりました。「食の積み重ねってこれだな。」と思って、ある意味怖いと思いました。
健康情報は、大きく修正されながらアップデートされていきます。
薬膳は、理にかなったものですが、足りない情報も沢山あります。栄養学や小麦粉、甘味料、植物性油脂、乳製品を排除する4毒抜きも取り入れつつ身体の環境を綺麗にしておきたいというのが現時点での私のやり方です。
忙しさで精一杯だったあの頃の自分を、私はもう責め過ぎません。
でも、同じように走っている誰かや悩みを抱えてる人には、
「食は後回しにし過ぎないほうがいい」と伝えたいです。