突然、鼻呼吸が困難になる

私が26歳だった5月初旬でした。ある日の夜に酷い鼻詰まりがあり、薬や鼻炎薬を試しても改善せず、横になると呼吸ができないほどの状態が続きました。その2年前から春の花粉アレルギー症状があり、鼻炎薬で対応していましたが、その年は症状のレベルが明らかに違っていました。口呼吸で就寝するしかなかったため、朝には喉がカラカラに乾燥していました。
耳鼻科で受けたアレルギー検査の結果、イネ科のカモガヤに強い反応が確認できました。
暫く処方された抗ヒスタミン薬と点鼻薬、点眼薬を使っていましたが、身体がだるくなる副作用の辛さが1か月続くのにはまいりました。痒い、だるい、熱っぽいの三拍子です。ふらふらのだるさ、痒みは、頭の先から足の裏までの全身で、37℃の微熱が続きました。出勤しても全く仕事にならなかったです。当時、働いていた会社には、ロッカールームにベットが置いてある個室スペースがあり、辛くて堪らない時は、20分程、そのベッドに横になっていました。ただそれは、仲のいい同僚以外には言わず、こっそり休んでいました。花粉症で辛いといって休んでもアレルギーなので、花粉の飛散時期が過ぎなければ、マシにもならないし、当時は、生理痛で休むという理解も無かったぐらいなので、花粉症は、耳鼻科に行けば済むことだという雰囲気だったからです。
その次の年の6月は、フランスへ行っていたのですが、まだ花粉症の症状は続いていて、昼は大したことないものの夜になると鼻水の洪水で、困りました。見かねたフランスの友人が、薬局でインヘラーを買ってきてくれました。それを鼻から吸引するとかなり楽になりました。日本では売っていないもので輸入禁止の薬品でした。

抗ヒスタミン薬が効かなくなる

花粉症の5月6月を2年程、抗ヒスタミンで抑えて凌いでいましたが、点鼻薬の回数も増え、鼻水が止まっても鼻の血管が切れて鼻血が出るようになりました。これは身体が慣れてしまったとしか思えないと再び耳鼻科に行って、全く薬が効かない現状を訴えました。漢方薬を処方され、診察室で飲んで様子をみようと言われました。30分くらいして鼻の孔にカメラが先についた管を入れられ腫れが引くか観察しようというものでした。ファイバースコープのような繊細なものではないようで、原始的に管を突っ込まれいじられる痛さで号泣を止めることができません。「全くマシになりません!」と怒りに似た思いで訴えたのを憶えています。「もう、これは一生付き合っていかなくちゃいけない。花粉を避けるしか手立てはない。」そう言われて、もう絶望的な気持ちになりました。
この頃、漢方薬で飲み始めたのは、今やポピュラーになった小青竜湯です。これは少し花粉が飛び始めたかなという初期に飲むと症状が和らぐものでしたが、重症の私は、手に追えない患者だったようです。

鍼灸+漢方+再び抗ヒスタミン薬

それから、結婚して環境が変わりつつも、花粉の季節は相変わらず苦しいものでした。痒くならない日はなく、花粉の時期には体温が1か月間37℃以上を維持していました。平熱が36℃ジャストの私には、この微熱の継続は、辛いものでした。別の病気が潜んでいる可能性も考えられたので、内科で検査を受けましたが、結果として自律神経失調症と診断されました。
空気の綺麗な街から車の多い街中に引っ越したり、自分の苗字が変わった喪失感、環境激変からくるマリッジブルーというか精神的にも不安定な時期でした。

妊娠中の安定期には、悪阻がひどく、入院もしました。加えて花粉の季節の激しいくしゃみとの闘いが始まりました。薬の摂取に不安がある中、悪阻と花粉症の症状緩和のために鍼灸治療を受けたりもしました。

子育ての始まった年からは、耳鼻科で再び鼻を洗浄しに通い、処方された薬と市販の抗炎症効果のある漢方薬を飲んでいました。なるべく身体を冷やさないようにし、食べ物でいいと言われているものは全て試してみました。
紫蘇茶、ヨーグルトを1日に500g以上食べること、ミントの飴、紫蘇の飴‥‥どれも重症の私には、その後の数年間、全く効果を体感できませんでした。

凍頂烏龍茶は、一年だった

ある日、テレビ番組で女性歌手が「花粉症が辛いんだけど、このお茶飲んだらピタッと次の日から止まったの。」と言っていて、それが凍頂烏龍茶だと知りました。今では高級烏龍茶として広く知られていますが、当時は高級スーパーや百貨店で茶葉を小分けにして数少なく売られていました。早速購入し、煮出して飲んでみると、本当に鼻水が止まり、呼吸が楽になりました。その年は、微熱もなく快適に過ごせました。

次の年の春、花粉症の時期になると、凍頂烏龍茶を再び購入しました。しかし、前年のような劇的な変化はなく、鼻水や鼻詰まりが変わりませんでした。身体が慣れてしまったのでしょう。そして当時のどこの医療機関も花粉症の時期だけ対処療法するしかないという対応でした。自分が少しでも楽になれる方法を探し、口から入れるものだけでなく、マスクは勿論、花粉避けのスプレーやクリームも試しましたが、絶望的でした。

私の場合、ブタクサ科のカモガヤに反応するため、4月から少し痒みが始まり、5月と6月いっぱい鼻炎や微熱、目の痒みに苦しみます。そのため睡眠も浅くなり、クオリティオブライフが著しく低下し、毎年、2か月の生産性が停止し、免疫も落ちるのが辛かったです。

もうこれは、レーザーで鼻の粘膜を焼く手術をした方がいいのではないか?それも副作用が、気になるなあと躊躇していた年の秋頃に、何だかわからない痒みがまたやってきました。どうやら秋の花粉症もあると知り、どんどん酷くなっているような気がしました。

あっけなく長年の苦しみが終了

そんなお手上げ状態の頃だったでしょうか、スーパーでルイボスティーのパックを見つけました。「カフェインゼロ 抗アレルギ―にも」というコピーに惹かれました。朝食がパンの時は、レモンを入れて飲んでも違和感ないし、便利だなあと家族と一緒の普段の食事に使っていました。

そして、季節が巡り、4月や5月に花粉症の症状が出てこないことに気づきました。何が変わったのか考えてみると、半年間、日本茶からルイボスティーに変えたことしか思い当たりませんでした。

私の花粉症は、たまたま相性が合ったのか、お茶を一定量飲み続けたことで解消されました。その後ルイボスティーを飲まなくなっても再発して苦しむこともありません。花粉については昔から色々な説を耳にしたり目にしました。花粉そのものはアレルギーにならないが、アスファルト道路が増えたことと花粉と排気ガスと絡むことで発症するという説、身体が虚弱だから説等です。
最近知ったのは、小麦を摂取しないようにしたら花粉症が治ったという話ですが、私の場合、パンが好きでよく食べていましたし、うどんも普通に食べていました。私が同じように小麦断ちをして治ったかは、疑問です。
花粉にも種類がありますし、様々な食材や物質のアレルギーがあります。そして育ってきた環境や体質も個別のものです。

この驚くべき変化について、どのようにして花粉症が治ったのか、誰か教えて欲しいと思いました。苦しみから解放されるまでに実に15年近くの歳月が経っていました。しかし、未だに本当の回復の原因を解明し、説明してくれる人や文献に出会えていません。本当に「真実が知りたい。」と切に思います。

ただ一つ身をもって納得できたことは、お金を沢山掛けなくても、サプリ等を飲まなくとも体質を変えることは出来ること、毎日の食習慣が、大きな影響を与えるんだということでした。

アレルギーは、遺伝するのか?

私が、花粉症の苦しみから解放されて、晴れ渡った空になったかといえば、そうではなく、また新たな悩みが、その数年前から始まっていました。下の息子のアトピーが表立ってきた頃でした。赤ちゃんの頃は、上の子と比べればおむつかぶれになりやすいなと思うくらいでした。それが、幼稚園に通う頃になると夏は汗をかいたところがすぐかぶれるか痒みが酷くなる。冬は、肌が乾燥して痒くなるのです。
血液検査では、ハウスダストに異常に反応する体質のようでした。かといって家の外でも埃は常に舞っていますし、もうその時は、自然のある生活環境にいたので、もっと田舎に転地療養したら改善されるのかと出来ないことを沢山悩みました。
皮膚科では、「保護するしかない」と軟膏を渡されるだけ。それでも痒くなるから眠れない。添い寝しながら、背中をさすってやったり、冷やしてやったりするもののそれが逆効果なのではないかとかどこに答えがあるのかわからない悩みが尽きませんでした。勿論、私の花粉症克服になったと思えるルイボスティーも彼には効きませんでした。
ステロイド依存をなるべくしないように、それでも酷い時は、適宜頼って、市販のローションや効果あるとされるものを沢山試しました。無農薬野菜を取り寄せてもみましたが、経済的に続けていく自信がありませんでした。
着る服も天然のもの。タオルも天然かつ優しいものを多少高くても買うようにしました。
特に下着のトランクスは、ウエスト部分がむき出しゴムになっていて肌に当たるので、汗かくと真っ赤になるのです。タオルを当てて縫い付けたり、多少デザイン的に劣っても中にゴムが入ってるトランクスやブリーフを買っていました。

そのうちアトピー商法と思えるような勧誘がSNS経由で送られてくるようになり、健康ビジネスをしている方の中には、「子供がアトピーになるのは、母親の子宮が汚れているから。」と言う女性もいました。
このように根拠なきスピリチュアル紛いなだけの発言をされたり、自分の身に起こらないことには、無神経な人は少なくありません。また、何のエビデンスも無く発言されていると思われる医療従事者もいらっしゃるので、その立場の強さから、本当に罪なことだと知って欲しいなと常々思っています。
当時の家を行き来するママさん友達のなかにも同じような悩みを抱えている人がいましたが、食生活もその他の生活も美しいバランスの取れた方でした。私だって添加物まみれのカップラーメンは、普段は一切買わない主義だし、普通の生活をさせている自負があったので、その時、家族の健康問題に関する情報は絶対発言するまいと心に決めました。
そんな葛藤のなかで、劇的に、あくまで一時的にアトピー症状が消えたことがあったので書いておきます。

伝説の人気皮膚科と温泉

当時勤めていた会社の同僚が、「姉が、子供のアレルギーで連れていって改善されたと言ってるので、一風変わった診断方法なんだけど騙されたと思って行ってみて。」と教えてもらったのが大阪の梅田のロフト前の今は無き山本皮膚科でした。
雑居ビルの地下にひっそりあったのですが、予約は出来ず、朝8時に行くと既に何人か並んでられて整理券を貰い、昼の2時ぐらいになるまで、子供たちとお昼を食べたりして時間を潰しました。さほどSNSも発達していなかった時代で、この医院のホームページも内容の無いいいかげんなものだったのですが、口コミでの広がりが凄かったのです。
診察室に行くと、80代の先生で、聴診器を当てることもせず、「ぼくはきついな。ここに手を置いて。」と先生は、いわゆるダウンジングの先に重りのついた紐を握り、様々な種類の軟膏とテーブルに置いてそこに彼の手を置かせます。診断ではなく、占いじゃないかと思ったのですが、医師がやるので診断になるようでした。そしてダウンジングの石が縦に揺れて「良い」と判断した薬4種類を組み合わせて処方されました。
それを家で混ぜて塗るようにするのです。まさにピタリと痒み、症状が止まりました。
暫くの平和をそれで凌いでいましたが、先生が高齢なので閉院するとの情報を知り、また薬難民、皮膚科難民になりました。
その先生が処方してくれた薬を組み合わせて皮膚科にお願いすればいいのではと言われましたが、若干、ステロイドの入ってるものもあるし、状況、体質も変わってるかもしれないし、あくまで対処療法じゃないかと頼るのはやめました。

もうひとつ、劇的に症状が止まったことは、たまたま夏休みに高槻市が運営する高槻森林センターへ泊りがけで行った時のことです。そこは天然温泉があったのです。その宿泊があって以来、痒いということが無くなりました。いつも添い寝でさすってやりながら寝ていたので、あれっと思ったのです。でもそれも1か月しか続きませんでした。
また温泉に浸かりに行けば症状が治まるかもしれないと日帰りで行ってみましたが、今度は全く効果がありませんでした。ある一定時間浸かる必要があるのか、慣れてしまったからかのどちらかでした。また泊まりに行こうとした時には、工事中か閉鎖となってしまいこれまたお手上げでした。

体験談をいろいろ読んだり聞いたり

当時の行きつけの小児科で女性医師がアトピーと闘う本を読みました。書いたのは同じ医師である夫で、殆ど、何もできず、寝ているしかない日々があることや、血だらけになったり、死にたい願望を切実に訴える様子が綴られていました。
医療がこんなに発達しても痒みのひとつもアレルギーのひとつも治療できないどころか原因解明も医師そのものであっても出来ていないじゃないかと衝撃でした。
何の問題もなかったかのように見える白くて美しい肌の仕事仲間の女性が、「数年前に、アトピーで入院して包帯でぐるぐる巻きだった。」とか、担当だった美容師さんが、毎月保険でプラセンタを打ちに行ってアトピー症状を緩和しているとか、身近にいろんな情報を聞かせてもらうようになりました。
みんな手探りで一生懸命解決手段と闘ってきた、付き合ってきている。対症療法でない根本から改善できることは、一体何だろうか?いつも考える日々です。
息子に「何故、スナック菓子食べて、カップラーメンすすって、煙草吸って、だらしない家にいても肌が綺麗なヤンキーは一杯いるじゃないか。食生活なんて関係ない。おかしい。」と言われたことがあり、言い返すことが出来ませんでした。
でも、今なら、肌に出なくても精神に出ているかもしれないし、脳みそに弊害が出ているかもしれないと言いたいです。

紆余曲折の末に、数年前から、私が言える解決方法は、血液検査した時に亜鉛の値が少ないので、まず、それを補うことです。アトピーの人で同じように亜鉛が足りていない人がいるという情報が一致したからです。サプリで補うのが早いので、飲むように言っていましたが、面倒臭がって本人が飲みませんでした。離れて住んでいる今、ようやく理解して摂取しているようですが、もう親としては、それ以上のことは出来ません。
自分の身体のことは、自分しか感じ取れない部分が多いので、常に情報収集や勉強が必要と思っています。自分が信じている先生の言ってることを信じるだけなら宗教ですし、専門家より経験者から教えてもらうことも少なくありません。情報の選択にもセカンドオピニオンが必要だと思っています。